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AIを通して人間の知性を考える—『教養としてのAI講義』を読んで

公開日: 2026年01月27日 / 更新日: 2026年01月27日


コラム

AIを通して人間の知性を考える—『教養としてのAI講義』を読んで

予測は難しい。とりわけ未来については。

英語圏で有名なことわざだ。
(“Prediction is hard, especially about the future.”)

予測なんてすべて未来に関するものなので、「とりわけ未来の予測が難しい」という言い方は本当はおかしい。これは一種の冗談で、未来を予測するのがいかに難しいか、ということを表現している。

AIの進歩についても、同じことが言える。

「絶対無理でしょ……」と思っていたことが、数年後には普通にできるようになっている。しかも、「技術的には難しいはず」と考えられていた壁が、いつの間にか突破されている。

このことわざは、私が最近読んだ『Artificial Intelligence: A Guide for Thinking Humans』(メラニー・ミッチェル著)に出てきたものだ。2019年10月に英語で出版され、日本語でも『教養としてのAI講義 ビジネスパーソンも知っておくべき「人工知能」の基礎知識』というタイトルで出版されている。(この記事での引用は原書からのものとなる。)

ChatGPT以前の本だが、内容は古びない

OpenAIが ChatGPT(GPT-3.5)を一般公開したのが2022年11月。それ以降、世界は一変した。
本書は、その「ブレイクの約3年前」に出版されている。

もちろん、2019年以降AIの技術は恐ろしい進歩を遂げている。だから本書の一部は古くなっている。これは避けられない。

それでも、この本がいま読んで色褪せないのは、中心にある問いが「当時のモデル性能」ではなく、人間の知性とAIの“知性”(intelligence)の本質的な違いに向いているからだ。

原書の副題は「A Guide for Thinking Humans」、つまり「考える人間のためのAIガイド」。

この副題には、筆者のこだわりが濃く滲んでいる。人間の思考や知性がいかに複雑なものか——その点は、どんなに強調してもしすぎることはない、という熱量を感じる。

機械学習を「感覚的に理解する」体験

本書は、AIの歴史と技術的側面を俯瞰するのにちょうどいい。
技術的に専門的な説明から逃げない。それでいて、数式で殴る本でもない。むしろ「感覚的に理解できる」ように言葉で組み立て直してくれる。

ここで感じたのは、筆者の言語化能力が異様に高いということだ。
ニューラルネットワークが「なぜそれっぽく動くのか」「なぜ根本的に危ういのか」が腹落ちする。

一方で、正直に言えばかなり集中力を要求される本でもある。問いが深いからだ。

そして全体を通して、IT業界がAIを過大評価することへの苛立ちが、はっきり伝わってくる。AIの限界を議論する点では容赦がない。

今読むと「悲観的すぎるのでは」と思う箇所もあるが、それでもこの本の価値は、人間の知性の本質について考えさせられる点にあると感じる。

「理解」していないはずなのに成果を出すAI

本書の中核にある主張は一貫している。
AIは「意味を理解していない」という点。さらに、汎用的な知能の前に「意味の壁(barrier of meaning)」があるという点だ。

意味の壁を突破しなければ、知性と呼べないのではないか—これが筆者の主要な論点である。

もちろん、「意味を理解しているとはどういうことか?」を定義するのは非常に難しい。哲学的な問いだ。

だから現実的には、「理解しているなら、こういうアウトプットが期待できるはずだ」という“パフォーマンス”からしか評価できない。

ただ2026年の今、私は「AIは意味を理解していない」と自信を持って断言できないでいる。

私自身、プログラミングにおいてはここ1年ほど生成AIへの依存度が大きく上がった。今年に入ってからは Claude Code や Codex といったコーディングエージェントも活用し、仕様策定や実装設計の段階からAIと壁打ちすることが日常になった。

面白いのは、生成AIをうまく活用するうえで重要なのが、実際のコーディングよりも“前工程”であることだ。

生成AIと一緒にドキュメントをまとめていく過程で「実装する上で確認点はありますか?」と聞くと、かなり的確な点を挙げてくる。しかも、自分では拾いきれていなかった細部や、仕様検討での重大な見落としに気づかされることがある。

私からすれば「プロジェクトを理解していなければ出てこない質問」を投げかけてくる。

パフォーマンスからしか知性の質を評価できないのだとすれば、プログラミングに関して言えば、コーディングエージェントはすでに一定の知性に達している—そう評価するほかない。

ただし、人間の知性はプログラミングに限定されない。
むしろエンジニアでない限り、日常的にプログラミングをする機会は少ないだろう。より一般的な意味での人間の知性を考えると、問題は一気に複雑になる。

理解・常識・メンタルモデル

「理解とは何か」に関して、本書は特に深く切り込もうとしている。

“An integral part of understanding a situation is being able to use your mental models to imagine different possible futures.”
物事を理解するには、頭の中にある知識や経験を使って、「この先どうなるか」をいくつも思い浮かべられることが重要だ。

理解とは、現在を認識することではなく、可能な未来を想像できることだ—この指摘は重要だ。

ここで著者はメタファー理論を引き合いに出す。人間は抽象的な概念を理解するとき、身体的・具体的な経験をもとにした「比喩(メタファー)」を使って思考している、という説だ。

有名な実験がある。
被験者はエレベーター内などで、温かいコーヒー/冷たいコーヒーのどちらかを一時的に持たされる。その後、「初対面の人物の性格を評価する」課題を行う。

結果として、温かいコップを持った被験者は相手を「温かい人柄」と評価する傾向が有意に強く、冷たいコップを持った被験者はより冷淡・距離感のある評価をしやすい、という興味深いものだ。

解釈には議論があるが、少なくともここからは、「身体的経験が抽象概念の評価に影響しうる」ことが示唆される。

意味理解は、頭の中だけで完結しているわけではないのかもしれない。

抽象化とアナロジー

本書で繰り返し強調されるのが、抽象化とアナロジーの重要性だ。

アナロジー(類推)とは、ある事柄の構造や関係を手がかりにして、別の事柄を理解したり考えたりすることだ。人は未知のものや抽象的な概念に出会ったとき、すでに知っている具体的経験や身近な例に重ね合わせることで理解を進める。

『ゲーデル、エッシャー、バッハ』で有名なダグラス・ホフスタッター(Douglas Hofstadter)は、アナロジーをこう定義する。

“the perception of a common essence between two things”
二つの対象に共通する本質の認識

人間の概念形成は、ほぼすべてが無意識的なアナロジーに支えられている。
認知心理学者エマニュエル・サンダー(Emmanuel Sander)はこう述べる。

“Without concepts there can be no thought, and without analogies there can be no concepts.”
概念なくして思考は成り立たず、アナロジーなくして概念は成り立たない。

つまり、アナロジーなくして思考は成り立たない。

人間は成長の過程で、抽象化やアナロジーを通して世界を理解し、複雑なメンタルモデルを形成している。「世界を理解している」とは、実のところこのメンタルモデルを運用できることでもあるのだろう。

そしてAI研究者の多くが合意している点として、常識・高度な抽象化・アナロジー能力は、いまだAIに欠けている重要なピースである—本書はそう述べる。

メタ認知と創造性

著者が指摘するもう一つ重要な要素がメタ認知だ。

“An essential aspect of human intelligence … is the ability to perceive and reflect on one’s own thinking.”
人間の知能における本質的な側面の一つは、自分自身の思考を捉え、それについて省察できる能力である。

人間は答えを出すだけでなく、「自分が今何をどう考えているのか」を意識できる。考え方がh2-05妥当か、別の見方はないか、と自分の思考を振り返り、修正し、深めることができる。
この能力が、人間らしい知性を支えているという指摘は鋭い。

この議論は、著者の創造性観とも呼応する。

“Being creative entails being able to understand and judge what one has created.”
創造性とは、作り出すだけでなく、その成果を自分で理解し、良し悪しを判断できることでもある。

この意味で、既存のAIは創造的ではない—筆者はそう主張する。
そしてここで重要なのは、「作る能力」よりも「評価する能力」が問われている点だ。

プログラミング領域では、AIのアウトプットを評価することが(少なくとも他領域に比べれば)比較的容易である。基本的には想定通り動作するかを見ればよい。
一方で、言語化が難しい分野や、抽象的な言語化に依存しやすい分野では、人間の感覚的評価がより重要になってくる。

さらにはこの本では、身体性が人間の知性にいかに深く関わっているかについても論じられていて、かなり興味深い。
AIという一種の鏡を通して人間の知性を分析しようとした試みということもできる。

危険なのはAIではなく、人間かもしれない

本書の終盤で語られる警告は、いま読むとますます重い。
AIの最大のリスクは、我々がAIに過剰な自律性を与えてしまうことだ。
機械学習研究者ペドロ・ドミンゴス(Pedro Domingos) の言葉が刺さる。

“The real problem is that computers are too stupid, and they’ve already taken over the world.”
本当の問題は、コンピュータが驚くほど頭が悪いのに、すでに世界を動かしていることだ。

AIの限界よりも、人間の判断能力の限界のほうが深刻なのではないか。
AIの出力を正しく評価できるだけの理解を、私たちは本当に持っているのか?
そういったことを真剣に考えさせられる。

生成AIによって求められる仕事の量と質が急速に膨張している。このスピードの中で、生成AIの出力をすべて精査することは不可能だ。

だからこそ、自分の専門分野においては、より深い理解を追求するしかない。それが、AIを賢く、パワフルに使うための唯一の鍵だと思う。

生成AIの普及を見ていると、人間がやってきた仕事の多くが、いかに定型的だったかが露わになっているように感じる。

本当に問われているのは、創造性の「深さ」だ。創造性の「強度」だ。

どれだけ深く潜って考えられるか。どれだけ一つの対象に密着していけるか。どれだけ感情的に対象に寄り添っていけるか。

あるいは、こうして深く考えていく機会すら生成AIによって奪われてしまうのか。
結局は、自分がどうありたいか、どれほど本気でそうありたいと思っているのか。
そういう問題なのかもしれない。


書いた人:酒井 志郎

ITエンジニア。C++, VB, C#などを使ったプログラミングをシステム開発会社で10年間以上経験した後、
ロケットスタートに転職。kintoneのカスタマイズはじめロケスタのIT部分に幅広く携わる。

酒井個人Xアカウント

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